言葺庵

寝惚けた獅子に気付けの一服

転売の何が悪いのか、道義的に考察しました。

眠れぬ仔羊へ

転売はネットでは悪評に塗れていますが、一向に法で取り締まられる気配がありません。
ならば転売で稼ぐ事は正しい事なのでしょうか?

いいえ、確かに転売は法には触れませんが、根本的に道義に反する行為です。
なので転売で稼ぐのは止めた方が良いでしょう。
今回はその道義的な理由を考察したので記事にまとめました。

目録

転売は何故道義的に悪なのか?

商売の両輪

皆さん御存知の通り、商売には両輪となる原則があります。
まず第一に「安く買って高く売る」事です。
転売屋さんは目ざとくてこれが非常に上手い。
しかし、対となるもう片輪を蔑ろにしているからいけません。
それを語る前に転売について分類してみましょう。

転売の分類

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転売の分類
図に示したように転売には三種類あります。
Aは転売らしい転売、中古品を安く買って高く売る事で利益を出していきます。
Bは顧客から委託されて買付を代行するものです。顧客との契約により手数料等を稼ぎます。
A、Bは小遣い稼ぎ位なら特に届け出なくとも可能です。
商売でやるなら古物商の届出が必須ですが、今回の議題からは逸れるのでこれ以上は踏み込みません。
図に示した通りCはいけません。この非受託新古品転売こそが唾棄すべき行為です。

見逃されがちなもう一つの原則とその補足

商売の両輪たる原則のもう片輪、それは……
「顧客の快楽や便利の拡張や、不快や不便を減免した報酬が利益である」
という事です。この原則には以下の補則があります。
「最終的に快楽や便利が差引で多くなるのなら、多少の不快や不便を感じさせても構わない。但し、それには顧客の納得が必須である」

たとえば「お化け屋敷」は恐怖という不快感を顧客に与えますが、
顧客はそれに納得しているからチケットを買っているので、
お化け屋敷で味わう恐怖という不快が最終的に満足に繋がるのです。

それに対して非受託新古品転売は顧客が納得していないのに、
私利私欲の為に割り込んで市場から商品を掻っ攫ってしまうのです。
買い占めた理由が商品に対する愛や信仰の為の複数所持というのなら
同じ購買者として百歩譲って理解出来なくもありません。

しかし彼らがやっているのは転売なのです。
それも頼んでもいないのに勝手に買い占めて暴利を貪るだけに飽き足らず、
我々消費者が購買し金を払う事で生産者に感謝の気持ちを届けるのを阻害までしているのです!
利益に目ざとくても、利益を生み出す消費者を蔑ろにして
商売の原則を破る彼らは小金持ちになれても大金持ちなれる事は決してないでしょう。

転売屋に伝えたい事

職場や学校で「余計な事をするな」ってよく言われません?
古物商登録済ませてますか?
ちゃんと確定申告してますか?

新古品を転売するなら顧客から買付の委託をされたものだけにして下さい。
小金を掴んで世間を出し抜いたつもりでしょうが、
顧客に不快感を与えて大金を掴めるとは思わないで下さい。
転売が合法な内に足を洗う事を強くお勧めします。

まとめ

  1. 悪の転売は「非受託新古品」を扱う転売である。
  2. 顧客に断り無く購入を代行しているので「非受託新古品転売」は悪である。
  3. 商売の原則に反する転売屋が大成する事はありえない。

消費者である私達に何が出来るのか

現時点で考えられるのは以下の通りです。
1. 転売屋からは購入しない。
2. 生産者に再販を願い可能ならば働きかける。
3. 転売屋の為に祈る。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

ーールカによる福音書23章34節

私達の幸福や成熟の礎になる事を願って 枕本より